『四月は君のウソ』の最終回を見ました
?????ん????
これ・・・・良く分からないんですが・・・・
とりあえず、音楽についての知識には明るくないので
最終回の演奏のクオリティとかよく分らないんですが、
物語としてどうなの?
・・・・・・・うーん・・・・・・
これって凄い悪質な構造じゃない?
じゃあ、以下ネタバレなわけですが、
簡単に話を整理すると
好きな男に近づくために、別の男をだしにしたって話だよね。
つまり、本気の好いた惚れたをして傷つきたくないからそうしたんだよね。
それって、ヒロイン悪質じゃね?
恋愛に倫理観が一切入ってこないのは最近の流行なのかな?
倫理観は超えてもいいけど、やっぱりそこには葛藤やその行動への疑問視点が無いと・・・・・
いや、でも、この物語で感動する人が大勢いるのも分るんですよ。
泣かすために良く出来た構成になっていると思いますよ。
でも、でもでもでも、やっぱり・・・え??この行為を肯定して良いの?
え?なに?最後死んじゃうから何しても許されるの?
俺明日死ぬから人殺しても良いの?
ヒロインが走り出したのは良いですが、走る方向はもうちょっと考えましょうよ。
もちろん、僕は「不治の病で明日をも知れぬ身」では無いので、自分が同じ立場になったら、ヒロインと同じ行動を取る可能性もあるかもしれませんよ。可能性はね。低いけど。
でも、実際に体験した事では無いのでそれは分りませんよ、どうしたって。
でも、それを美談風に演出するのって、それはだめじゃね?
明日死ぬかもしれない人でも世の中に対して誠実に生きている人もいるわけじゃない。
どうなの?これはマジで判断しかねます。ありなの?なしなの? 分りません。
えーっと・・・・・、これは、あくまで僕自身の美意識が何処にあるか?の問題なので、本当に個人差があると思います。
つまり、このアニメ、漫画が受け入れられる世界観に今の時代がなっているのかもしれないって事ですよね。
僕の感性が今の時代のメインストリームから乖離してしまったのかもしれない。
(いや、乖離は最初からしているのかもしれないけれども)
と、上記の解決不能な命題はさて置くとして、
単純にこのアニメ、漫画の欠点として、途中からあまりにも既定路線に乗りすぎていて「ああ、そらそうなるわな、分ります」状態で、意外な事実が一つも起きないので、どうしてもお話に乗れない。
でも、もしかして、最後に超ウルトラCを決めて凄い着地をするかもしれないと思いながら漫画、アニメを見ていたんですが・・・・最後の最後まで「・・・・知ってた」の繰り返しでした。
漫画を読んでいて、結構早い段階で、ヒロインが主人公の事が好きな事は間違いないだろうと推察出来てしまう事で、逆算的に「じゃあ、渡君が好きってのはウソだよね」が導き出されて、その後は”伏線”の「伏線感」がプンプンするだけのシーンの連続になってしまうわけですよ。
もう一回最初から見てもらったら別の物語が見られると言っている方もおられるようですが、ネタバレが早過ぎて、最初から裏テーマが表に駄々漏れになってますよー。
まあ、主人公達の絡みでの茶番感がドンドン、ドンドン増して行くわけなんですよ。
でも、まあ、「決定的な告白」を最終回までしない事によって、この物語が”完結するまで”は、ある一定の興味を引く事が出来ていた訳ですから、これはまあ、ある意味、大成功って事なんでしょうかね。
でも、完結した一つの物語としてこの漫画、アニメを振り返ったときに、
主人公を取り巻く世界の”あらゆるすべて”が主人公とヒロインの為だけに配置されている事があからさまに浮き彫りになっていると思うんですが何か。
いや、何かじゃないんだが。
特に主人公の友人の渡君、椿、先輩、母、ライバル等、すべてが主人公とヒロインとの関係性を成り立たせるために作られた「物」である事が見え透いてしまう。
登場人物達の”張りぼて感”がとても気持ち悪く見えてしまう。
特に、渡君とか、もうパズルのピース感が凄い。
これが、ある種のシチュエーションコメディ的な作品であったなら、まあ、それは娯楽の一つとして楽しむのも有りなのかなーとも思えなくも無いんですが。
(見る側にもエクスキューズが求められますよー。「批判的な視点は視聴者側がちゃんと持ってなさいよー」的な作品を否定する気は無いですと言いたいわけです)
感動的ストーリー風にそれをやられてしまうと、ちょっと・・・いや、ドン引いてしまいます。
なんだよ、全部主人公を徹底的に甘やかす世界しか存在しないじゃない。
主人公が孤独感を感じる必要がある だろうか?いや無い。(反語)
てか、父ちゃんがおるじゃーん。父ちゃん不憫。
もちろんこの日記に反感を感じたり反論を言いたいと思う人も多いことでしょう。
じゃあ反感ついでにもう一個。
百歩譲ってヒロインの行動原理が主人公にピアノをもう一度弾けるようになって欲しいと思う献身的な心から来た物だとしましょう。
とてもピュアな心での行動だったとしましょうよ。
そうするとですね・・・・・じゃあ、あの最後の手紙は絶対に渡しちゃダメだよね。
事の真相は墓場の中まで持って行くべきだよね。
あれって、完全に不幸の手紙だよね。
主人公も、「言い事書いてある」風な顔してんじゃねえよ!
と突っ込んでしまいました。
いや、僕の妄想の中で、勝手に考えていたラストなんですが、
最後、実はヒロインは生きのびていて、あの手紙は本当は主人公に見せるつもりは無かったんだけど、何かの手違いで主人公に見られて、今までのイタイ自分の言動をあの手紙で全て白日の下に曝け出されて、悶絶して終る。
「ああー、私はあのまま美しくこの世を去るハズだったのにー・・・・・」
とかなら、ハッピーエンドだし、物語の構造として全然許される物になっていたと思うんですけどね。
自分のついたウソのしっぺ返しがこれからお前を待ってるぜー。へっへっへ。的な目線が入っての結末であったなら、この作品の印象も全然変わっていただろうと思うんですが、どうでしょう?
とりあえず
「死んで責任を取るなんて理論は絶対に間違っているんだ」
「人の死を糧にする芸術に何の価値があるんだよ、バーカ、イマジネーション0か!」
と思っている僕の意見でしたー。
おつかれさまでしたー。
サイタマノラッパー(映画 ニ〇動で探せばあるとの噂が・・・・)を見た後では
まあ、単純な天才の天才による才能の見せつけを
ただ見せられる作品にはもう感動をする事は出来ないのかもしれない。
その意味でサイタマノラッパーの功罪は大きい
追伸
今週のSHIROBAKOのラスト良かったじゃねぇかー
SHIROBAKO自体はそこまで好きじゃないけど、今回のラストは良かった。
「やったじゃん!夢かなったじゃん」で流した涙じゃ無いって所がね。
あの涙の意味の多重性は結構凄いね。