パン屋に大事な事2
パン屋に大事な事
パン焼き終了〜
起きる
「山賊の娘ローニャ」22話
あかん!
これはあかんで~!
これ・・・・名作確定やーーーーん
これは切ない。
切な過ぎるし、刹那過ぎる。
宮崎五郎は高畑勲系の監督になるのかも
以下ネタバレ
いや、いやいや・・・、もし、次回でどれほどビルクが悪辣な事をしたとしても、
「殴る事無いやん!!!」
次回、どんな展開があったとしても
「なにも殴る事無いやん!!!」
「ローニャが・・・・・・殴る事・・・・・ないやん・・・」
かぐや姫 アカデミー賞を逃す。
なるほどー
やっぱり取れないよねー。
これほど日本人へ向けての作品はそうそう無いのですから。
つまり、今、この「かぐや姫の物語」がどうか、とか語る作品では無い!と
それだけは理解しておきたいものです。
「かぐや姫の物語」とは、日本人が誰もが知っている「竹取物語」をアニメーションにした長編映画なわけですが、もちろん、「竹取物語」の映像化はこれが初めてではありません。
実写映画としての、竹取物語 (1987年の映画)が存在します。
僕は子供の頃にこの映画を見てから、授業で詳しく「竹取物語」を勉強しました。
実写版では、かぐや姫は宇宙人で最後宇宙船がかぐや姫を迎えに来ます。
80年代の科学主義、SF、特撮文化との融合をした新竹取物語となっています。
ゆえに、僕の脳内では過分に「竹取物語」はSFチックな物語として好きな作品となっています。
劇場版「竹取物語」と原作との綱の引っ張りあいが僕の脳内ではおこっているのです。竹取物語を思い出す時には。
さて、実写映画から30年、原点から1000年ほど。
この「竹取」物語の系譜に新たな物語が加わりました。
それが「かぐや姫の物語」です。
すでに、科学への信奉は薄れ、国家、経済、家庭、全てが今危うい情勢の中、
じゃあ、コレ、「かぐや姫の物語」単体で評価して良い物ではないですよね。
原典との関係性を理解しなければならないし、この「原典の力」の”強さ”こそが、この「かぐや姫の物語」での”たけのこ”が逃れられない罰なわけです。
1000年の歴史を持つ「物語」と格闘した”たけのこ”との関係性を十分に理解していないとこの物語は訳の分らないつまらない作品に映ってしまう可能性があるし、
実際その様な意見もネット上ではちらほらと見かけますね。
つまらないと思った方、ぜひ、「”竹取物語”VS”たけのこ”」感覚で観てみてください。
よし、この話題はココまでにします。
最近、「これ誰向け?」とか「誰得?」とか良く言われますよね。
つまり、マーケティング対象が何処なのかって事ですが、
この「かぐや姫の物語」に対してこの言葉を投げかける行為ほどの愚行は存在しないでしょう。
宮崎駿は「風たちぬ」を自分のために向けて作りました。
高畑勲は「かぐや姫の物語」をこれからの子供達の為に作りました。
これからの子供達とは、この「かぐや姫の物語」を観た子供達を指しているわけではありません。
これから生まれ、育ち、いつか原典の「竹取物語」と「かぐや姫の物語」両方出会っていく未来の子供達に贈る為に作った作品なのです。
コレからの子供達は、「竹取物語」と「かぐや姫の物語」を通して、1000年間での思想、感性、価値観がどれほど移り変わっていくのかを学ぶはずです。
僕的には、87年に作られた「竹取物語」も一緒に観て、87年と2014年との世界感の移り変わりも体験して欲しいです。
いやいや、そうなるとですよ、そうなると。
アカデミー賞を取らなくて良かったーーーーっ、と思います。
はっきり行って「かぐや姫の物語」は、毎年に必ずどれか1作品に与えられる程度の賞は似つかわしくない!
かつて、「ほたるの墓」が僕達に大いなるトラウマをプレゼントしてくれました。
この「かぐや姫の物語」もその内、小学校で強制的に全生徒が見せられる作品になるでしょう。さらには原典の「竹取物語」も教えられるでしょう。
そして、それを観た子供達は、否応無く、この世界の揺らぎ、不完全性を突きつけられ、「この世界」「自分」「他人」を深く考え、魂に大いなるトラウマを抱えて生きる事になるでしょう。
どれほど、道徳の授業を受けようと、歴史を学ぼうと、この「かぐや姫の物語」以上のトラウマを子供達に刻み込む事は出来ないでしょう。
なぜなら、この「かぐや姫の物語」があまりにも圧倒的に芸術的な映像美と、キャラクター達の超存在感で、子供達の魂にガツン!と衝撃を与える事は間違いないのですから。
これはもう、「ジブリ倒産」と引き換えにしても余りある未来への財産である事は自明の理です。
高畑勲からのギフトです。
残念ながら、おっさんになってしまった僕にはそのギフトはほんの少ししか与えられませんでしたが・・・これは仕方が無い。別の人向けのお菓子をコッソリちょろまかして食べたに過ぎないのですから。
つまり、アカデミー賞と呼ばれる、「なあ、どのポテトチップスが一番上手かった?」決定大会に、最高の手間と最高の食材で作られた純和風、味噌汁とおにぎりを出品してきたようなものです。
そりゃーーーー、選ばれるわけ無いよな。
アカデミ君「だって、おれら、どのポテチが一番上手いかを話してんだもん」
そりゃベイマックスが選ばれるよ。
と言うと、ベイマックスを貶める発言に聞こえるかもしれませんが、
まったくそんな事はありませんので、それはご理解ください。
僕、ベイマックス、大好きです。今年一番に対してまったく異論無しです。
本当にベイマックスは高水準で高品質な映像&物語である事は間違い無いです。
でも、それは、短期的に僕たちの心を感動させたり、ドキドキ、ワクワクさせられたりするものであるのだけれども、それは、あくまで「おいしいポテチ」である事を理解しておいた方が良いと思うのです。
現代人には「おいしいポテチ」は必要です。
しかし・・・・・同時に日本人が食べるべき「”食”」が存在するのです。
日本人が日本人で在る為に、この作品は必要な物となる。
・・・・・きっと。・・・・たぶん。
あと!最後に一言言っておきたい!!!
「女童萌え~♪」