うさぎロケット(R)

パン、短文、愚痴 載せブログです

風立ちぬの感想文

ジロウは言葉にした時には既に覚悟を決めている。
ゆえに対話が成立しない様に見えたり、
薄情に見えてしまうんだな。

宮崎駿は兎に角、自分の描きたいことだけ描いたって感じ。
大人向け?子供向け?
いいや、コレは俺向けの映画だ!

新ジャンル
「俺向け映画」
宮崎駿の「男とはこうゆうことさ」
な映画でした。

しかも、そんな私的映画のくせにココまで感動的な映画になるんだから。
なんだ、ただの天才か。

駿さん!ピラミッドどころか、1人天空を飛翔してるやないですか!
と、思いきや、高畑勲とゆう、もう一匹の化物が横を平行飛行してたりするのであった。

寄生獣 セイの格率 19話

前週の寄生獣についてちょっと一言物申してしまった事は深く、反省しています。

 

今週は結構良かったです。

この淡々とした前準備の雰囲気は、ビューティフルドリーマーの学際前夜感があって

僕は好きだなー。

と不謹慎な事を言ってみる。

あと、PVで出ていた浦賀はどう見てもただバカな異常者だったのに、

入所後の浦賀は一気に原作の雰囲気に寄せて行っていてよかった。

やっぱり刑務所に入ると人は変わるんですね。

 

こうゆう、準備作業的描写は個人的に大好きなので、

3週ぐらいに引き伸ばしてやって頂いても良かったですよー。

 

まあ、基本的には寄生獣の物語で一番大事に思ったエピソードはもう終ったので、

後は特に文句が出る事は無いと思いまーす。

 

stand by me ドラえもんの感想文 ACT.2 僕は絶対にネタバレをする

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今度はちゃんと鑑賞しましたー。

いやー感動しましたー。涙腺崩壊でしたよー。

意表をつく展開の連続でびっくりでした。

 

ではネタバレ全開で行きます。

まず、冒頭部分が「さよならドラえもん」のラストシーンから始まった所で、いきなり度肝を抜かれました。

そして、ドラえもんの帰った世界でジャイアンスネ夫に騙されるのび太

怒りながら家に帰ったのび太は押入れの中からuso800を取り出したをジッと見つめる。

しばしの無言の後、握り締めたuso800をゆっくり箱の中に戻すのび太

ココでこだまする、のび太の「ドラえもーーーーーん」の絶叫は劇場版ドラえもんでは、やはりお約束ですね。

しかし、今までとはまったく逆の意味として使われているんですね。

ドラえもんとの決別を誓った「ドラえもーーーーん」に涙腺崩壊です。

 

ここで、Stand By Meドラえもんは「さよならドラえもん」のアナザーストーリーである事がわかるわけですね。

uso800を使用しなかった世界の物語。

ここからのストーリーは結構淡々と進んでいきます。

中学ー高校ー大学ー就職と決して優秀ではないものの精一杯生きるのび太の姿に胸を打たれます。これはドラ泣きしちゃうわー。

そんな日々を送るのび太に一枚の同窓会のお知らせのハガキが。

ここから物語りは急転直下で動き始めます。

この同窓会にはしずかちゃんの姿は無く

どうやら、のび太としずかちゃんは付き合っていない事が分ります。

uso800を使わなかったせいで未来が変わってしまったようです。

 

同窓会後にジャイアンの家に集まるのび太ジャイアンスネ夫出来杉

話は自然としずかちゃんとの思い出になります。

しずかちゃんは海外留学でアメリカへ行き、どうやらそのままアメリカで生活をしている様です。

 

べろべろに酔っ払ったのび太がトイレに行こうとすると、ジャイ子と鉢合わせします。ジャイ子は未だ漫画家を目指して実家暮らしをしている様です。

「漫画見せてよ」と酔った勢いで軽口を叩くのび太にちょっと苦笑いをしながらも、

二人でジャイ子の部屋へ行き、漫画原稿を見せてもらう事に。

ジャイ子は照れくさそうに「そこら辺に散らばってるから勝手に見て」と言って、自分は原稿作業に向かう。

静寂の中、漫画原稿の紙のこすれる音と、たまにのび太のふきだしたような笑いが聞こえてくる。

そして、漫画原稿を見ているとコマの中にドラえもんとよく似たキャラが出てくる。

それを見て、のび太の動きがぴたっと止まる。

漫画にはそのキャラと少年とのじゃれあいが描かれている。

いつの間にか、原稿に一粒の涙が・・・・

少し間があった後に自分の涙に気がつきあわてて原稿の涙を拭うのび太

「ご、ごめん原稿が・・・」とあわてるのび太

「いいの、いいの。それ没になっちゃった原稿だから」と言いながらのび太にハンカチを渡すジャイ子

「はは、こんな事で泣いちゃって、ドラえもんに合わす顔が無いや」とつぶやくのび太

「そんな事ないよ、きっとどらちゃんは・・・」と慰めるジャイ子のび太

ジャイ子ちゃんの漫画面白いよ。きっと才能があるよ」と言って、二人で笑う。

 

同窓会が終わったのび太は、またいつもの日常に戻る。

二日酔いのせいで、少し疲れぎみに社食へ向かうのび太

同僚達と昼食を取りながら携帯を弄っているのび太の耳に、テレビからのニュース音声が飛び込んでくる。

「昨夜発見された死体の身元が判明しました。品川区在住の源静香さん26才とのことです。」

携帯を見ていたのび太がゆっくりテレビの方へ目線を移すと、そこにはしずかちゃんの姿が。

 

場面が飛んで喪服姿ののび太達。

皆が泣いている中で、のび太だけが何処かぼーっとずっと心ここにあらずといった

雰囲気でいる。

みんなと別れた後、とぼとぼと家に帰るのび太

「何が・・・・何が・・・・」

聞き取れない独り言を喋り続ける。

「何が21世紀だよ!!」といきなり大声を叫びながらごみ収集所のゴミを蹴りながら暴れだすのび太

ドラえもんと見た未来的な21世紀と現実の21世紀とが交互に画面に映し出される。

「うそつき!うそつき!うそつき!・・・・うそつきロボットが!」

あばれ疲れ、へたり込み泣き続けるのび太

しかし、泣き声が次第に小さくなり、涙を流さなくなる。

そしてスクッと立ったのび太はふらふらと歩き出し、ついには走り始める。

 

息も絶え絶えののび太がたどり着いたのは、自分の実家であった。

駆け足で家の中に入り、急いで2階へ直行する。

押入れを開き、四角い箱を取り出す。uso800である。

つまり、uso800でしずかちゃんを生き返らせようと考えたのだ。

 

 

ゆっくりと箱を開けるのび太であるが、箱の中にuso800が無いのである。

混乱するのび太。押入れの中のものを全て出して、押入れの中を探すが、uso800は見つからない。

「な、なんで・・・・」

失意の中、呆然としながら実家を後にしようと、玄関を開くと、家の前に人影が見える。

「やあ、のび君、やっぱり君も同じ事を考えてたんだね」

と言いながら近寄ってくるのは出来杉であった。

実は出来杉もしずかちゃんの死を何とかしようと考え、かつてドラえもんのいたのび太の実家に何かひみつ道具が無いか探しにきたのだった。

 

出来杉にuso800の事を話すのび太

「・・・確かにそのuso800があればしずかちゃんを助けられるかもしれない。」

「そうなんだ、・・・・でも何故か箱の中は空っぽで・・・・」

と肩を落すのび太

少しの静寂の後、出来杉がゆっくり語りだす。

「・・・・・何かいやな事があった時はさ、よく君の家の前に来ていたんだ。」

「へ?僕の家に?」

「そう君の家。かつてドラえもんがいたこの家に。」

「なぜ?」

「なぜって・・・だって、ドラえもんひみつ道具があれば・・・・どんな問題でも・・・・」

「・・・解決出来るって・・・・事?」

「のび君、君にとってはドラえもんは親友だったんだろうけど、僕の瞳には悪魔的な力を持った、恐ろしくも魅力的な”ロボット”に映っていたんだよ。何時だって。」

「そ、そんな、まさか・・・・」

「そう思っていた人間はきっと僕だけじゃ無かったはずだ。

誰だって考えたはずだ、もしかしたら、まだこの家にはひみつ道具の一つや二つ残ってるんじゃないかって。」

「・・・uso800は盗まれた?・・・ドラえもんを知っている誰かによって?」

「そう!僕はその可能性が一番大きいと思っているんだ」

「・・・・・」

「のび君、何も落ち込むことは無いじゃないか。これで僕たちにも希望が見えてきたって事なんだから」

「は?何を言ってるんだ出来杉!もうuso800は無いんだ、誰かに盗られてたとしたら、もう既に使われてるよ。・・・・・僕たちに出来る事はもう・・・何も無い」

「はは、そんなに絶望的な状況じゃないよ。何故なら・・・僕たちが生きているからだ。」

「ご、ゴメン、何を言っているか分らないよ」

うーん、と少し困った笑顔を浮かべながら腕組みをする出来杉

「もし、君がuso800を不正に手に入れたらどうする?」

「え、そ、そりゃ、・・・・ゴメンわかんない。」

ドラえもんを知る人間を全員消す事だ」

「そんな!・・・」

「当然さ、そんな道具が使われたら、ドラえもんを知っている人間であればすぐにピンと来るはずだからね。

まず不安の種を取り除くハズさ。

でも、僕たちは今ココに存在をしている。」

自分の身体を手でぱたぱたと叩き、自分の存在を確認するのび太

「ふふ、現時点で可能性は2つある。

1、まだuso800は使われていない。

2、uso800は使われているが、使用者はそこまで「冷血漢」ってわけじゃない。

つまり、uso800を盗んだ人間を探し出せば、あとは対話と交渉しだいで・・・

しずかちゃんを生き返らせられるって事だ」

のび太が大きくつばを飲む。

「のび君のご両親に君が不在の時に誰か尋ねてこなかったか聞いてみてくれ。

いや、それよりも空き巣まがいの事をして盗んだ可能性の方が高いな。

それっぽい事柄が無かったかも同時に聞いておいてよ。」

「わ、分った」

家の前の塀にもたれかかって話していた二人だったが、

のび太はいつの間にかずるずる背中をずりながら、地面に尻をつける様な格好になっていた。

「時期さえ分れば、その時問題を抱えていた奴、あるいは、急に状況が良くなった奴を探し出せば良い。案外すぐに見つかるかも知れないぞ」

へたり込んだのび太を見下ろしながら、出来杉が静かに笑う。

 

出来杉は何でも出来て、人格者で、非の打ち所の無い、良い奴。

そんな風に今まで彼を見ていた。

それが間違いであった事を僕はこの瞬間に始めて知った』

 

「君は天使なのか?・・・・・悪魔なのか?」

「何を言っているんだい?僕は、人間さ」

『ああ、またバカな質問をしてしまった。僕はなんてバカなんだ。

それでも、僕は、君を助けてみせる・・・・

しずかちゃん』

 

~エンドロール

さあ、ココまでが劇場版stand by me ドラえもん序章編でした。

いやー第二章の公開が待たれますね。

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まあ、全部うそなんですが。

あ、本物はあまり面白く無かったし、ドラ泣きは出来ませんでしたよー

ユリグマ嵐への対応

今期アニメのユリグマ嵐への対応策

最終回だけ見て、感想文ブログを読んでから、全話見る(か検討をする)ことにします。
 
  • どうでもいい語り
オープン二ングの
ユリグマーーーーー、ユリグマ嵐!
って箇所は
ユリグマーーーーー、嵐!
にした方が良いなと思いました。終わり
 

艦これに怒っている人

がいるらしいですね。
少女が戦闘する場面が不謹慎だとかなんとか。

、、、この人は世の中に山程ある少年が戦闘をする場面に対してはどう思っているんだろうか?
僕は少年が戦争に巻き込まれて戦う描写とか苦手で、ガンダムとかもあまり好きになれないので、この人の嫌悪感ってわからんでもないんだけど。
なぜ少年は良くて少女はダメなんだろう?
不思議だ

stand by me ドラえもんの感想文

えー、まだ見てません。

見る前に感想を書いてみよーうのコーナー!

 

ドラえもんはもちろん知っています。

でも、前にくっついているstand by meってどうゆう意味なんでしょうか??

一番最初に思い浮かぶのが1986年公開のアメリカ映画です。

でも、どうなんでしょうか?

そっちよりも普通の直訳としての「そばに立っていて」の方が正しい気がする。

ドラえもんのび太との関係性を考えると直訳の方が近いのかなと思う。

うんうん、納得。

さあ、じゃあ、TSUTAYAに行こうか・・・・・

と、その前に、そもそも論。

そもそも、ドラえもんって何?

いやいや、知ってるよ、ドラえもん知ってるよ。

一般史としてのドラえもんは知ってますよ。

でも、僕にとってのドラえもんをキチンと定義しておかないと

satand by meドラえもんを見る資格を得る事が出来ないのではないか?

あれほどのヒット作を見るためにはやはり心の正座をせねばならんでしょう!

 

ドラえもんって3つありますよね。

・初期 さよならドラえもん まで

・中期~終わり無き後期

・劇場版

この3分割には大体の人が納得できるんじゃないでしょうかね。

僕としては、中期以降のドラえもんってあまり興味が無いので、語る事がないです。

まあ、終なき日常物作品のロールモデル的な意味では、意義の大きな作品郡ではあると思います。

 

次に、劇場版については、中期以降の無目的化した日常物作品と並立した、

目標地点の設定された物語としてのドラえもん物語として、とても重要な作品郡と

言って良いと思います。特に、登場人物達の成長物語を描く事で、ある種、空洞化しかねない中期以降のドラえもんへの意味づけに大いに役立つ物だったと思います。

登場人物たちへのリアリティ、実在感を出させるために『劇場版』はとても大儀であったと思います。

 

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さて、ここまでは前置きです。

では、初期ドラえもんのお話をします。

ドラえもんとは何か?

それはETです(1982年公開のアメリカのSF映画)

ちなみにドラえもんは1969年から連載開始です。

ドラえもんはETのパクリ作品だったんですね。因果律を超えてパクルなんてなんてけしからん!まったくわけが分らないよ。

藤子不二夫Fは魔法少女だったのだ!『完』

さて、無し無し、上の無し。

 

ETとは何か、ある側面としては、異種間交流物とも見えますが、別の側面として捉えてみたいと思います。

「友達もおらず、特技も無い少年が、世界でたった一人、心を通わせられる親友と出会い、そして、別れる物語」

それがETです。

ね?ドラえもんとかなり似ているでしょ。

そもそも、初期のび太って親からも期待されず、同級生からも相手にされず、それを自分でも理解している鬱屈とした少年です。

誤解を恐れずに言うなら

「周りを凡人どもと心の中で見下しながらも、その中でさえ最下層の自分に絶望を抱える、精神性だけが異常に高い、屈折した少年」

と言っても良いぐらいです。

いや、こんな少年結構いますよ。

自分の精神性と外界との乖離を上手に折り合いをつけられない苦しみこそ、のび太の持つ一番大きな問題なんですよ。

 

で、そんなのび太の元にやって来たロボット。

その非現実的で非人間的な存在にしか自分の心情を吐露出来ない少年とロボットは

どんどん自分達2人の世界に閉じこもって(ひみつ道具の共有によって)いきます。

しかし、突然終わりを向かえる二人の関係。

でも、「かつて親友がいた記憶」がこれからの、のび太を支えていってくれる予感を

与えてくれる最期。

それが初期ドラえもんの物語です。

以上。

 

・スピンオフ

ここが変だよ?ドラえもん

ドラえもんてすごく変な作品じゃないですか~。

だって、ひみつ道具のび太の私生活の質の向上に全然貢献してないじゃないですか。

本来なら、のび太は何か失敗するたびにタイムマシンに乗ってやり直すべきだし、

移動は全てどこでもドアを使うべきだし、

毎日暗記パンを食べ続けるべきだし、

食事は毎回”グルメテーブルかけ”で作るべきなのに。

全然そういった事をしていないわけです。

え?それはシチュエーションSFコメディだから?

いや、そうではないのです。

ひみつ道具とは、のび太の心の成長をさせるためだけに登場する道具なんです。

あれは、のび太に提示された「未来への希望」であり、「絶望ばかりの現在への魂の救済」なのです。

だから、ひみつ道具は日常に侵食することが無いのです。

そこがドラえもんのび太に与えた物なんです。

だから、ドラえもんが帰ってもきっとのび太の未来はきっと大丈夫なんだ。

 

さあ!STAND BY ME ドラえもんを見よう!

寄生獣 セイの格率 18話はちょっと足りない。@ロケット

数日前はアニメ寄生獣を見て、つい感情に任せて

批評的な文章を書いてしまって、我ながら大人気ないなあ・・・と思ったんですが。

まあ、数日経って、少しは冷静に物事を考えられるようになったと思うので、

もう一度、18話を自分なりに振り返ってみたいと思います。

 

・・・・・うん、やはり足りていないな!確認終了。

 

えー、では、何処から書いていくべきか・・・

まず、一番に書くべきことは、この文章が僕の思い込みによって書かれているという事だ。

寄生獣語り」ではなく「寄生獣を見た自分語り」である事を理解しておいて欲しい。

 

とゆうエクスキューズを挟んで、まず書くべき事は・・・・・

やはり、目・周辺についてもう一度整理しようと思う。

特に目頭と目じりである。

漫画版では発砲シーンへ向けて執拗に田村の目頭と目じりを強調して描き込まれている。

かつ、「目の演技(目を細めたり、見開いたり)」をほぼ田村にさせていない。

これはもちろん田村→新一母への変身をより際立たせるための仕掛である。

つまり、いつ、いかなる時も表情を変えない田村を極限まで演出しているからこそ、

発砲後の田村の顔の変化が「表情変化」ではなく、「変形」である事を読み手は直感で理解する事が出来るのだ。

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その証拠というわけではないが、新一母→田村へ戻った時の田村の目に注目して欲しい。

直前までの田村の目の描かれ方の執拗さが消え、ある種、さっぱりとした目頭と目じりの描き方に変わっているのである。

(これは田村の心情として、子供を渡し終えた安堵の現われでもある)

実は漫画版では、田村の目力と物語の緊張感はシンクロしているのである。

 

アニメ版ではこの田村の目力と物語とのシンクロがなされていないのが残念な箇所である。目が適時、演技をしちゃっているんだよね。

といった事を前回では書いたわけです。

 

 

とはいえ、今回の18話はほとんど原作と同じ様に製作されています。

これは完全コピーと言っても良いほどに一言一句同じセリフ、同じカメラワークである。

コレで原作厨が文句を言うのはお門違いなのかもしれない・・・・と思うかも知れないが、この完コピ演出こそ多くの人が感じたある種の「コレじゃ無い感」の正体なのである。

ちょっと詳しく解説していきます。

 

・そもそも「かあさん」じゃ無い問題

漫画版での話。

田村→新一母と言っていますが、そもそも、田村の変身した母は新一の母ではないのです。

田村の変身した物は「若き日の新一の母」なのです。

当然です。田村は新一宅のアルバム写真で子供の頃の新一と母を見ただけなのですから。

”今”の新一母をそもそも知らないのです。

数ページ後の新一の回想での母を見てみてください。「変身田村」よりも、若干目じりが下がっています。

では、なぜ僕たちはアレをかあさんだと分ったのか?

「かあさん」で無い者をなぜ「かあさん」だと思い込んだのか?

マンガを見れば、それは一目両全です。

漫画を模写してみました。1~5の番号は見る順番です。

3つのコマを5回見ているのです。↓

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1.田村の変化に気がつく

2.変化に何か意図がある事に気がつく

3.新一の「かあさん」の一言でその意味を理解する

4.再び最初のコマへ戻り確認する。

5.アップのコマを見る事で、より強い確信へと意識の強化がされる。

を1コマ1コマを別の場面として認識しながらも、この見開きを一枚絵として同時に認識しているのです。

ゆえに、田村→新一母への変化に一切の淀み無く対応し、理解ができるのです。

(さらに付け加えると、田村が変身したのが新一の母である事の「絵」的な担保として、新一との目の形の類似性があります。

変身田村の目=新一の目=新一母の目

と、新一を挟む事で、間接的に田村が新一母に変形している事を担保しています。

逆に、それ以外での絵的な担保はこのシーンには存在しません。

なんとニクイ演出でしょうか。 )

 

しかし・・・・アニメではこの演出は不可能です。

何故ならマンガでは可能な時間の巻き戻し構造が、アニメでは使用できないからです・・・・

そして、その漫画的構造を分解&再構築せずにアニメーション化をしてしまうと、

知覚や理解、認識に一々つまづいてしまうわけです。(つまり18話です)

漫画が新一の思考トレース的に読み進められるのに対して、アニメでは、あくまで、二人を見守る第三者視点でしかこの場面を描けていないのです。

 

この場面、マンガの完コピではなく、田村の変身した顔に、新一の母の顔をフラッシュバックを挟み込む等の独自演出をしていたならば、また違った印象になったでしょう。

そうでないにしても、アニメならではの工夫が必要な場面だっただろうと思いますね。

 

 

ちょっと、今更な話にはなりますが、今回のアニメ化にあたって、

ネット上では「キャラデザ」についての物議がありました。

つまり、今風の絵柄への置き換えです。

僕自身はこの、「今風の絵柄への置き換え」とゆう行為自体にはある程度肯定的です・・・・が、この寄生獣に関しては否定的な思いを持っていました。

何故なら、漫画版寄生獣はそういった漫画ならではの演出や、記号性を最大限利用した構造が大変多いわけです。(目の演出もその一つです)

1枚絵の連続で構成されるアニメとの食い合わせの悪さを考えると、キャラデザを同じにして、視聴者の「脳内補完力」を最大に引き出させた方が良いのではないか?

つまり、「アニメを見ながら、脳内ではそれに該当するページが浮かんでいる状態」に視聴者をしておいた方がセーフティであると思っていたわけです。

同じ物語を別の役者が演じる行為は下手をすると「学芸会」的になってしまう危険性が大変大きい。

「魂は細部に宿る」とはよく言ったものです。

 

さてさて、長々と書いてしまいましたが、あと少しだけ言いたい事があります。

最後に田村がちょっと人間っぽい演技に寄ってしまった事です。

寄生獣とゆう漫画は決して「寄生獣」と「人間」とが理解しあう物語では無い。と言いたい。

最後まで「理解し合えない者同士の物語」である事は漫画を全編読んだ方なら分ると思います。

出来れば、田村の語る言葉は人間っぽかったとしても、語り口はやはり寄生獣的であるべきだったと思います。(今後の展開を考えれば、今までよりも寄生獣的な語り口にすべきだったと思う。)

まるで、田村が人間の心を理解したかの様な演出はこの「寄生獣」の物語を通して語られるテーマとは相反しているとしか思えない。

これは目先の感動の量を水増しする事は出来たとしても、全体としての物語性を貶める危険性が多分にあると思います。

だって、この後に寄生獣と戦う意味を失いかねないじゃないですか?

まあ、それを今起こっている戦争のメタファーとして、虚無的に描きたいのなら、それも良いかも知れませんが・・・・・それは、まあ、別の作品でやって下さい。と言いたい。

 今後どうするんでしょうね?

ココまで人間との差を無くしてしまって大丈夫なんでしょうか?

今後の展開を考えると、ただの弱いものイジメ感がとても強くなると思うんですが。

漫画でもそこら辺ギリギリのラインを進んだわけですが、今回の田村の演出を見ると、本来「寄生獣」の伝えたかった物語が違った方向に捉えられてしまう危険性があるなと心配になるんですが?

そおゆうのがお好きなら、漫画版デビルマンを読むことをオススメしますけどね。僕は。

 

 

あと、本当に最後に一言、

あの、エンディングのラストがちょっと変わる演出に気を配るよりももっと他にやるべき事があるだろう!と思ってしまって、あのエンディングの演出はあまり好きになれませんでした。

 

ロスタイムの一言

僕は、基本的には田村の立ち位置は寄生獣の登場人物の中で、もっとも

人間側から遠い存在だと思っています。

田村ほどの親寄生獣派は居ないと思っています。

田村の最期がもし自己犠牲であったのなら、それはやはり寄生獣に対しての犠牲であったと思っています。

 

 

でも、アニメ版寄生獣がとても良作である事は間違いが無いですよ。

と最後にヨイショをしておく事を忘れない僕なのであった。やれやれ。